第一話 ここはどこ? わたしは……って、わたしお嬢さまなの!?
夢を見ていた。
夢の中のわたしは黒い影。その影はいつも独りぼっちで、いつも一人で泣いている。
みんなから忌み嫌われ、追いつめられ、そして……世界から見捨てられた。
いや違う。
最後……死の直前に誰かがわたしを救ってくれた。
誰かがわたしの魂に救いを与えてくれた。
そう……あの人はわたしに約束してくれた。
わたしがどこにいようと必ず会いに来てくれると……。
「わたし待ってるからっ!」
絶叫しつつ、わたしはベッドで跳ね起きた。朝起こしに来てくれたメイドが目を丸くしてわたしを見つめている。
「お嬢様!? どうされました!? 」
「ごめんなさいHachi。変な夢を見ちゃった。」
「ふふふ。思わず大声を上げるほど怖い夢だったのですね。」
そう言ってHachiはやさしく微笑んでくれた。
彼女はいつだって優しい。
彼女はどんなに辛いときもわたしの傍にいてくれて、どんなときでもわたしの味方になってくれる、わたしにとって大切な友人だ。
いや、友人というよりお母さんみたいな……なんて言ったらお母様に悪いかな。
「今日は生徒会選挙。わたしの学園生活にとって天王山となる大事な日よ。だからきっと緊張して変な夢を見たんだと思うわ。」
「そうですか。お嬢様と一緒に学園に通えるのも今年が最後となります。わたくし精一杯応援させていただきますね!」
「Hachiー! 愛してるー!」
彼女の胸に飛び込んで思いっきり甘えながら、わたしは頭の中で膨らみ続ける不安を打ち消そうとした。
けど、不安は秒を刻むごとにより強固な確信へと変化していく。きっと間違いない。
今朝わたしが見た夢は、わたしの前世の記憶なんだ。
前世での私は妖異だった。それは、つまり世界の理から外れた存在だったということ。
わたしは山奥の寒村で人々の目から隔離されて育てられた。やがて過疎化が進んで村から人がいなくなってしまい、わたしはひとり街へと降りていくことにした。
世間の常識なんて持ち合わせておらず、人間でさえないわたしは行く先々で騒動を起こし、そして追い払われた。
街から街へと流れて最後に辿り着いたのは、その世界でもっとも大きな都。
都会はわたしにとって住みやすい場所だった。
沢山の人々が群れ集う中に、わたしのような妖異が一匹紛れ込んだところでさしたる問題とはならなかったから。
わたしは都会の闇に紛れ込み、盗みを働くことで生活を続けていた。
ある日、通行人から財布を盗んで警察に追われていたわたしは、あやうく捕まりそうになった。
そしてあの男に出会った。男はわたしを警察からかくまってくれた。
それ以来、わたしと男の不思議な関係が始まった。
あの男は乱暴な人間で周囲から恐れられていたみたいだったけど、何故かわたしには優しくしてくれた。
わたしに安心して働ける仕事をくれて、男の家で一緒に暮らせるようにしてくれた。
男には亡くなった弟か妹がいたらしく、困っているわたしを放っておけなかったらしい。
「まったく俺らしくねぇ……」
男はわたしの目を見てときどきそんなことを言っていた。
男との生活はわたしにとって初めての家族の温もりを与えてくれた。
それは仮初のものだったけれど、その頃のわたしはもう孤独に戻れなくなってしまっていた。
ある日、あの男が殺されたということを男の仕事先で知らされた。
わたしは絶望に囚われ、それから怒りに身を震わせた。わたしからあの男を奪った奴が許せなかった。
復讐心が私の全てを支配した。
今になって思えば、ただ自分が孤独に戻ってしまう恐怖から目を逸らしたかっただけなのかもしれない。
そしてわたしは復讐を果たした。しかし、わたし自身も大きな傷を負って死を目の前にしていた。
わたしの最後の時、それが警察なのかどうかよくわからないけれど、とにかく秩序を守る側の人間にわたしは追いつめられた。
どうせすぐに消える命だった。
わたしは破れかぶれになって彼女と戦い……そして敗れた。
彼女からすればわたしはただの大量殺人犯。
唾棄すべき存在に過ぎない。
わたしはこの世の最後に、わたしを憎み蔑む目を睨み返してやろうと思って彼女を見上げた。
意外なことに、彼女は悲し気に潤んだ瞳でわたしを見つめていた。そしてどこか寂しくて優しい笑顔を浮かべながらこう言った。
「あの……局長を助けてくださってありがとうございました。」
彼女が何を言っているのかよくわからなかった。
復讐のために向かった地下組織で、監禁されていたらしい女性を何人も解放したから、
その中に彼女の大切な人がいたのかもしれない。
「ふっ……。」
わたしに止めを刺す段になって、口から出てくる言葉がお礼って……。
「ふふふっ……。」
わたしを孤独にした世界。
わたしをイジメた世界。
わたしを苦しめるだけだった世界を呪って呪って呪って死んでやろう。
なんだか全てが馬鹿らしくなってきた。わたしが主演のとってもつまらない喜劇。
観客は誰もいない、ただただ長いだけの三流映画だったけど、
それもあともう少しで終わり。
「きっと……わたしは地獄へ落ちるんだろうなぁ……たくさん殺しちゃったし……でも……」
地獄だっていい、もしかしたらあの男がいるかもしれない。孤独じゃなければそこがいい。
「もう一人はいやだなぁ……。」
聞こえないほど小さな声だったはずなのに、彼女は目に涙を浮かべてわたしの手をとった。
「局長の恩人は私にとっても大切な恩人です。そんな大事な方に寂しい思いをさせるわけにはまいりません……。
……。
……なので……なのでわたくし必ず貴方のところへお伺いします。貴方がどこにいようと必ずです。
だからどうかその時は貴方と一緒にいさせてくださいね。
貴方に家族や友達がたくさんたくさん出来て寂しくなくなるまで、ずっと……ずっと一緒ですよ。」
彼女にはわたしの声が聞こえちゃったのか、こんな時なのにちょっと恥ずかしかった。
わたしの心の深いところが、ふっと暖かくなった。
「ねっ、お約束しましたよ。」
わたしのすべてが世界から消失していく中、わたしが応えた言葉は彼女に届くのだろうか。
でもそんなことはもうどうでもよかった。
「待ってる。」
そしてすべてが闇に包まれ、わたしは深く沈んでいく。
彼女が誰かわたしは知らない。
名前さえ知らない、わたしの命を終わらせた彼女の最後の言葉に、
決して叶うはずのない約束に、
優しい嘘に、
わたしは手を伸ばしながら消えていった……。
「……嬢様?」
彼女の声が聞こえる……。
「お嬢様!?」
Hachiの声が聞こえる……。
あの優しい……わたしに約束してくれた声。
「お嬢様! しっかりしてくださいっ!」
お嬢様? 誰のことだろう?
「って、わたしお嬢様!?」
素っ頓狂な声を挙げて、わたしはポカンとHachiを見つめる。
「お嬢様、やはりどこか具合がよろしくないのでは……。」
Hachiが心配そうな顔をするが、わたしの具合は悪くない。
いや悪い。
全身から滝のような汗が流れ始めてきた。
前世の記憶がはっきりと、それはもう完全といいって良いくらい蘇ってきたからだ。
今のわたし、松華院女子高等学校2年、令和4年9月の今日、生徒会選挙に臨もうとしているわたしの記憶と、
前世のわたし、妖異として生をうけ、世界から疎まれて孤独の中で生き、そして死んでいったわたしの記憶が
わたしという一つの器の中に入り込んで混ざっていた。
「わたし……山王寺小影。」
「はい。小影さまです。お嬢様。」
「わたしは、お嬢……様?」
「はい。お嬢様はお嬢様です。」
端からみたら本当におまぬけな会話だし、わたしもそう思ってはいるけれど、
こうして確認することで頭の中の混乱が徐々に収まり、落ち着きを取り戻していった。
Hachiは凄く心配そうな顔してるけど……。
「……ってHachi!?」
「はい。お嬢様。Hachiはここにいますよ。いつだってお傍に。」
前世の記憶がわたしの心の中に、彼女のイメージを映し出し、それが目の前にいるHachiと重なる。
魂が揺さぶられる。
胸が張り裂けそうだった。
彼女だ! 彼女があの時の約束を果たしてくれた! 本当にわたしのところに来てくれたんだ!
前世のわたしが心の中で絶叫する。
「はぢぃぃぃぃ」
目から涙が溢れ出てきた。お嬢様的にはNGなのはわかっていても、涙も鼻水も止められなかった。
Hachiは何も言わずわたしを胸に抱き、優しく頭を撫で続けてくれた。
©2019 帝国妖異対策局
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