少女にはいつもフェルディナンドがいた。
朝も昼も、食べるときも寝るときも、フェルディナンドが必ず傍にいた。
だから孤独ではなかった。
母親が少女を残してこの世を去る少し前に、少女の幸せを願って贈った熊のぬいぐるみがフェルディナンドだった。
「お母さんはもうすぐいなくなっちゃうけれど、この熊のお友達がずっとあなたを守ってくれるからね。」
たった一人の親を亡くし、とうとう少女は天涯孤独の身となった。
このとき彼女の中で沢山のものが壊れてしまったが、命まで消えてしまうことがなかったのは、フェルディナンドのおかげだった。
フェルディナンドは、彼女の声をいつでも真剣に聞いてくれた。
少女の悲しみの咆哮を聞き、恐怖に震える鼓動に触れ、共に泣き、笑い、怯え、喜び、たくさんのことを二人は話した。
フェルディナンドはいつも少女の傍らにいた。
少女を引き取った親戚は彼女を大事に育ててくれた。
少女は多くの子供たちと共に、遊び、学び、失敗し、成長していった。
同世代の子供たちが異性について意識し動揺し始める頃には、少女の美しさに心を奪われぬ男はいなくなっていた。
ただ彼女と出会って間もない者であれば誰でも奇妙な点に気が付いたはずだ。
彼女が絶対に熊のぬいぐるみを手放すことがないということに。
もちろん彼女を育てた親戚や村の人、古くから付き合いのある者なら誰でも知っている。
かつて少年たちが、ちょっとした悪戯のつもりで彼女から熊を取り上げたとき、村中を巻き込むほどの大騒動になったことを。
彼女が人前でも平然とフェルディナンドと会話したり、彼が他の人間と同じように扱われるように強く望んでいることを。
フェルディナンドは彼女の危機を何度も救ってきたヒーローであり、唯一無二の友であり、今や自分の半身であると彼女は信じ切っていた。
今では村の人間なら誰でも、彼女にとってフェルディナンドがどれだけ大切な存在であるのかを知っている。
彼女にフェルディナンドがついていさえすれば、それによって傍目からはとても奇妙に思える様々な言動に目を瞑ってあげさえすれば、彼女が人として非常に聡明であり、寛容であり、思いやりに溢れた存在でいられることを知っている。
彼女は村の学校を過去最高の成績で卒業し、帝都の学校へ進学することができた。寮に入るために村を出るときには、村人総出で彼女とフェルディナンドを送り出した。二人の成功と幸せを願って沢山の者が涙を流して見送った。
西洋医学を学んだ医師を両親に持つ少年は生まれたときから科学の徒だった。西洋からやってきた科学という新しい概念は、それまで帝国に蔓延してきた数多くの迷信を打ち破り、帝都臣民の無知蒙昧の闇に光を当て続けてきた。少年自身も、これまでに何度も科学の知見を以て、たくさんの世迷言を看破してきた。
「科学のみが世界の真実を解き明かす鍵であり、人々を救う英知をもたらすものである。」
それは彼の中で確固たるものとなっていた。
だから同級生の中に彼女のような存在がいることを絶対に許すことができなかった。ただの熊のぬいぐるみを生きているものと信じきっている彼女は、彼にとって正に「救うべき存在」であった。
彼は科学的知見を使って、何度も彼女を説得した。 しかし議論や口論が白熱する度、彼はいつの間にか言い負かされ、最後には口をつぐんで席を立つことになった。
不思議なことに、彼は彼女と熊の二人を相手に議論をしているような気持ちにさせられ、いつも理不尽さを感じていた。
彼女自身は彼との口論がそれほど嫌ではなかった。
もちろん腹立たしいことは沢山あるけれど、その多くはこれまで何度も彼女が経験してきたことであり、その対処方法も知っている。それに怒りに捉われて我を忘れそうになったときには、いつもフェルディナンドが彼女をたしなめてくれるので、すぐに冷静になれた。
彼女にとってフェルディナンドは何よりも大切な(生きている)存在であったけれど、もちろんフェルディナンドが熊のぬいぐるみであることはわかっていた。彼女自身が血と肉の塊であるのと同じように。
彼女は、根本的にはフェルディナンドという存在を証明したいという動機から、自身とフェルディナンドを客観的に観察し、様々な考察をノートに書き留めていった。
このノートは現代では「フェルディナンドノート」と呼ばれ、帝国における精神医学や近代哲学の進歩に非常に重要な役割を果たした名著として知られている。
一方、少年にとって彼女の存在は科学そのものを否定するような憎むべきものであった。それは彼女を見下しているにも関わらず、成績において遥かに及ばない自分に対する怒りであったかもしれない。
それは彼女の美しさに心を惹かれている自分に、否定すべき相手に恋い焦がれている自分に対する侮蔑であったのかもしれない。
とにかく彼は彼が信ずる科学のために行動を起こした。
ある日、いつものように議論が白熱したとき、彼は怒りの衝動に任せて彼女から無理やりフェルディナンドを取り上げた。
縋りつく少女を振り払い、焼却炉に走り、燃え盛る火の中にフェルディナンドを投げ入れた。これで彼女の中に巣食う迷信は取り払われ、無知蒙昧の闇に科学の光が差し込むはずだった。
時が立てば、彼女は彼に感謝し、思慕し、彼は彼女の上に堂々と立つことができるだろう。
そのはずだった。
しかし結果はとても残酷で、とても悲しいものとなった。
彼女の死がどのようなものだったかはここに書くことはしないが、「フェルディナンドノート」を編纂して世に出した帝都大学の新道孝則教授が、後書きにおいてかなりぼやかした形でそのことについて触れている。
現代に生きる私たちであれば、自身と熊のぬいぐるみとの奇妙な関係を否定することなく事実に目を向け、「フェルディナンドノート」を残した彼女と、科学という言葉の剣を振りかざし、事実を自分の思うように整形しようとした少年のいずれが「科学的」であったのかがわかるだろう。
彼はその後、大学教授となり、普通に生き、そして普通に死んだ。
政治力の才能があったため、彼を開祖とする学派が形成され、その勢力は今でも大きい。現在の大学が、真実の追求よりも、地位と名誉、金と権力を求めるようになったのは、彼の残した大きな成果だったのかもしれない。
ともかくフェルディナンドが燃え尽きたとき、
科学の徒は非業の死を迎え、そして狂信者だけが生き残った。